鉛筆画家 松尾琢也・作品と告知のサイト 『 I am lunatic 〜 アイ アム ルナティック 』
I am lunatic 〜 アイ アム ルナティック・・・狂い候え、踊り候え、人生とは一期の夢候よ。ここは、松尾琢也(まつお たくや)という鉛筆画家の作品,そして活動報告や皆様への募集と告知を紹介してゆくサイトです。
鉛筆画家「松尾琢也」
・・・  松尾琢也(まつお たくや)new!
・・・  1971年5月生
・・・  大阪府堺市出身
・・・  現在は京都市内在住
・・・  趣味(私の好きなひととき...)

(1).ひとり笑い。
(2).夕暮れの散歩。
(3).古本屋と図書館。
(4).木屋町の夜。
幼少時代の落描き癖から思春期における創作活動(教科書や机、答案用紙裏面のエロイラスト。 いじめっ子への恨み節マンガ)を経て絵画の世界に興味を持ち始める。 「こんな、いやらしい性格!」への自己改造のため、20代は京都市内で小劇団活動を「たしなむ」が、 かえって本人の非社会性を増幅させる結果となる。 尚、それまで演劇といえば学校の演劇鑑賞やヨシモトしか知らなかった18歳当時、 生まれて初めて観た小劇団芝居、<劇団唐組(紅テント)>や<新宿梁山泊>に衝撃を受ける。余韻は今なお消えず。

<だいたいの経歴>
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1971年頃「トリス・コンク」という名の某洋酒メーカーの濃縮ジュース。真昼の光に透過したビンに、大好きなグレープジュースの鮮血の色が光る。最近になってから、それはほぼ葡萄酒の色だったのだと気づく。
1974年:幼児期に出会った絵は、母が趣味で描いた油彩画。
1978年初恋の少女スズキケイコに駅前の噴水に突き落とされる。白いワンピースと真夏の空。
1980年:母の長期入院。やがて大病院というひとつの「街」が息子の原風景になってゆく。
1983年:友人3人と真夜中の国道沿いにて初めてのエロ本購入。
1984年:遠足用のおやつを全て”グリコ&森永”でそろえる。
1985年阪神タイガース21年ぶりの優勝・日本一,と同時におそった母の危篤と死。
1989年:青き春に見たグレイの町。ジャポンの大変な方が亡くなられたらしい。世の中は平成へ。
1990年:紅(くれない)のテント劇場で観た唐十郎の演劇に衝撃を受ける。この年より京都で一人暮らしを始め、仏教大学文学部中国文学科に籍を置くが、授業には出ず構内学生劇団の部室に入りびたる毎日
1991-1992年:あいかわらず授業には出ないが、学内劇団のケイコ場や舞台上には出まくる毎日(留年決定)。
1993年:先の学生劇団の先輩、後輩から他大学や巷(ちまた)を流浪する同志らと共に劇団を立ち上げる。公演先の京大西部講堂で夜中生まれて初めてユーレイを見る。
1995年:市内ライブハウス磔磔(たくたく)での公演中、役者マツオが「ライブペインティング」のワンシーンでピンクの塗料を客席にまで放ってしまい前列側のお客さん多数被害・騒然(しかも祇園祭は宵々山の晩、浴衣客多数!)。・・・これが元で劇団は解散。(磔磔の悲劇)
1996年:就職。大阪の小さな広告代理店へ。しかし社内や得意先では他者のネクタイの長さや髪型、喋りのトチリといった末梢的なことばかりが気になる。
1997年:上記社の屋上から見える西成の街とその向こうに広がる工業地帯や海は今も忘れがたい、好きな風景のひとつ。この年、結婚。
1998年:妻君、そして劇団時代からの京都の友人と、成行きでの3人生活が始まる。”3種3様”の本、CD、ビデオムービー、情報、妄想で狭い2LDKはあふれかえる。そんな混沌から初期の鉛筆画<肌色のカーディガン>が完成。
1999年:そんな鉛筆画たちが溜まってきたので、真夏の京都三条で最初の個展を開催。
2001年鉛筆画家を志して退社。この年、離婚。
2002年:再び住居を京都市内へ。洋画家、田中芳照氏に出会い、鉛筆画の本格追求を決心する。
2003年:阪神タイガース18年振りの優勝。大阪ミナミ道頓堀に身を投げる裸体の若者たち。トロくてダルい祇園祭よりこっちの方がよっぽど祭りらしくておもろいやん!
2004年:'02年より参加せし、毎年秋の京のグループ展「じゅうじゅん展」にどっぷりつかってゆく・・・。
2005年:昼間の売り場アルバイトと夜の木屋町。そのコントラストにハマる。
2006年:宿酔でふと訪れた真夏青天の東京・多摩川。トランジスタ・ラジオから流れる「クレイジーキャッツ」。川岸に建つ高層マンションからは少女たちの声がこだましている・・・。「ここは何処だ。まだ”あいだ”か?」(島田雅彦 著『自由死刑』より)
2008年:37という齢にして、亡き母方の曾祖父は「熊本バンド出身の牧師」であったことを認識。
2009年:2月より初の連載開始。『パチンコ必勝ガイド(白夜書房・刊)』<パチンコ幻想劇場>にて吉田栄華さんの本文への挿絵を担当。現在も掲載中!!(コーナー『パチンコ必勝ガイド・挿絵集』をどうぞ)

:10月台風直下の三条河原町、<BAR気分は極楽>にて一人芝居『カタカス』を上演。
2010年:アパート立ち退きに遭う。
2011年:ベランダの鳩に悩む。
2012年:画風に悩む。
2013年:毎週正座して大河ドラマ『八重の桜』を観る(2008年欄・ご参照)。
6月・・イベント『ハッピー降霊会』にて劇中肖像画を3点制作。
7月・・第3回 SYOモデルオフィス展(松尾、2011年より参加)にて
鉛筆画『カスタネット』『犠牲者』を出展。
8月・・旅先の浅草で電気ブランに酔い乍ら、迷いは不要!と開き直る。
いきなり2016年:第6回SYOモデルサロン展に久しぶりの原画展示を終えて、新たな進撃がはじまる!10年振りの個展を決意!