鉛筆画家 松尾琢也・作品と告知のサイト 『 I am lunatic 〜 アイ アム ルナティック 』
I am lunatic 〜 アイ アム ルナティック・・・狂い候え、踊り候え、人生とは一期の夢候よ。ここは、松尾琢也(まつお たくや)という鉛筆画家の作品,そして活動報告や皆様への募集と告知を紹介してゆくサイトです。
 

☆『Second Round』

第11回じゅうじゅん展













2016・3月付

T先生の「桜」には普通では目に見えないものも、描かれている。

そう思ったのは先の2月に大阪梅田の阪急百貨店で催された先生の油彩画展でのことだ。前回のぼくの日記(もう3年前なのだが・・・)にもご登場された、細密でとても写実的な画風の洋画家。いわゆる「まるで写真のような」描写をする平面アーティストはけっこうよくお見かけするが、この方ほど空気や匂いまで描写する画家はいない。それは単に主題・背景の選択、色使いやエアブラシの効果的使い方など・・すなわち技法面に留まるだけではあるまい。
 今回の会場には古木の桜を主題にした画が集められてあるのだが、それらすべてにぼくは「死の匂い」を感じた。・・誤解なさらないでいただきたいのだが、これは「不吉」だとか「陰鬱」を指した感想をもらしているのではない。「死したるものの行く末」つまり天界を感じるのである。もちろん師のモティーフは現実の日本の山村や山奥の風景であるので、ありもしない幻想風景をシュールに描いているのではない。・・なので、このうつつにもふと可視できる「死やその後の転生」のすがた、とも表現し得るかもしれない。
 会場のT先生にそのこと、ぼくの勝手な感想を申し上げたところ、少し間をおいたのちにこう話された。それは、画における桜との出会いの経緯である。・・もう20年ぐらい前、T氏にとって画業上の大切な仲間だった方が不慮の出来事で亡くなっている。このこと自体はぼくもよく知っていたのだが、話はその後、氏をおそった喪失感にベクトルが置かれる。

 「たとえば、あなたなら、この芳名帳の横にあるペンが無くなったとする、けど見当たらない、どうしますか。また新しいものや、代わりになるものを、求めますよね。あの人をペンに例えたとするならば、僕は<その後>代わりになるもの、次になるものを求める気など起こらないのです」畢竟、この心理状態は氏の画業にも影響する。それまで描いていた対象物はすべて「空虚」に思えてくるのだ。それまでの女性を中心とした人物画やほのかな炎に照らされる静物画は氏にとっての相応しいモティーフではなくなってくる。そんな、画家の視点の先が虚ろになりつつあった頃に出会ったのが「桜」だったのだ。
「アトリエでふと開いた写真集があって、それが古の樹に咲き誇る桜の姿でした。昔もとめた写真集であって、買ったころには何も感じなかったものが、そのときにはなぜか、心に迫ってきたのです」
もちろん、氏には画商が着いている。そこには金銭や営利も絡むのだから、先方の意向や時代・流行などの要因がいくらでもあっただろう、しかし、ではリップサービスか、といえば決してそうではないし、そうなると氏の人生や精神世界を否定してしまうことにもなりかねない。つまりはこの話、ぼくは<真実>だと述べたい。

  さて、話をワタシごとに移そう、そしてそろそろ締めくくろう。

 前回の日記・・つまり3年前から現在(2016春)、ぼくはふたつのことを失った。ひとつは恋人との生活。もうひとつは或る愛すべき悪友との交流、「酒道酎道」あるいは「極楽道」に「わるだくみ」。
 前者は嵐のようにぼくの元を去り、今もどこかでがんばっているはずなのだが、悪友の方はこの世を去ってしまった。ほぼ同時期にこのできごとが重なったぼくには「戦後」がやってきた。何も無くなった心のなかで、ぼくはリンゴを齧るしかない。通りすぎてゆく少女たちの踝を眺めつつ。やがてそんな焼け跡で夜な夜なカストリをやりながら描いた拙画が、『風子(ふうこ)』と『みしらぬひと』だ。T先生の喪失感と同じにしては失笑されそうだが、ぼくの画もいつか変わってゆくのかもしれないし、変わらないのかもしれない。ただ現在言えることそれは、この「アプレゲール」な自分に、どこからかSecond Roundのゴングがかすかに、きこえてくることだ。 
 (了)

   


☆『小さな喫茶店』

第11回じゅうじゅん展 第11回じゅうじゅん展 第11回じゅうじゅん展













2013・8月付

2年ぶりになるだろうか。久方ぶりの上京である。前回は東日本大震災の直前、つまり2011年の3月初旬。日本橋三越にて洋画家・田中芳照氏の個展を観させてもらって、以来である。帰洛より数日後にあの震災が起こった。多少不謹慎な言い方をすれば氏の個展も含め、私たちは「逃れた」のである。
 最近、宮崎駿・スタジオジブリ制作による『風立ちぬ』という傑作アニメーションを映画館で観たのだが、その前半中に、関東大震災の印象的な描写があった。移りゆく場面を目で追い乍らふとアタマの片隅に気になったことがあり、終映後なんとなく思い巡らせてみる。あ。
 私の亡き母方の、祖父・祖母のことだ。
 若きころの、その二人も震災を「逃れて」いるのだった。
 他人の先祖バナシほど退屈なものはないので、以下ザッと述べてゆくが、兵庫県尼崎のプロテスタント教会の息子として生まれた祖父は、画家でも志したのか、東京小石川の「川端画学校」という美術学校に入学する。太平洋戦争中に廃校となった学校だが、卒業生には青年時代の黒澤明や、カッパ画で有名な小島功もいたようだ。そんなころつまり同時期、やはり愛知の農村から東京の女学校へと入学した祖母がいた。プロセスは判らぬが、二人は出会いやがて結婚することになる。
 そうしてふたりが卒業・帰郷したころ既述の大震災があったのである。  (ちなみに祖父の卒業記念写真の裏面には「東京・本郷・大正12年4月24日」とある。関東大震災は同年9月1日発生)
 『風立ちぬ』の描写においては、とくに焼けた上野方面や本郷あたりが出てくる。祖父・祖母の思い出の場所もあの炎の中焼けていったのだろうか。

 さて今回、馴染みのバー(http://www.k3.dion.ne.jp/~campari/)の常連さんたち一同、一泊二日の強行ステイで真夏の都内へと突進したのであるが、その合間、自由行動時間を使って私とチーコは、前夜「神谷バー」での余韻を香ばしく残しながら、下町を散歩する。上野・アメ横、不忍池、電車に乗って神田神保町。そこにはチーコが好きな「ラドリオ」という古い喫茶店があり、先刻買ったばかりの古本や、店内の演劇や映画のチラシを散見しつつナポリタンとチキンカレーをそれぞれほおばる、うまい!そしてブレンドコーヒーが暑気を飛ばす。昼時なのに静かで落ち着いた店内。都会の異空間。
 こんな時間を、若かりし祖父と祖母も過ごしていたのだろうか。
 震災・戦災・そして長い長い時の流れ。もう街角には何も「無い」はずなのだが、シチュエーションと想像力がリアリティをもたらしてゆく。
 ふと一瞬、チーコが腰を曲げて読書する往年の祖母に見えた。

 (了)

   


☆『駄本(ダボン!)』

第11回じゅうじゅん展


 拙いながらも、絵本を制作してみることにした。
 我が収入源である、ホームセンターでのパート労働、つまり売場店員をしながらある日、ふと気が付いたことがあったのだ。それはコドモの客と接しているときの自分は何だか少し違う、ということだった。
 どのように述べればよいか。・・「こんな自分が在ったんだ・・」と言えばよいだろうか。自己再発見と表現すべきか。対大人とは違い、何とか噛み砕いて伝えようとする自分が何だかぎこちなくも、ちょっぴりプリティー(笑)だった感、と言うか・・。

 あ。申し遅れたがちなみに私は大のコドモ嫌いである。
 だから上記に関しても決して媚びているわけではないし、いいオジサンになっているわけでもない。むしろお客のガキどものほぼ8割9割に私は「いらっしゃいませ」のあいさつもしない。「なんで金も持たんと騒ぐだけのサルどもに営業せなあかんねん!」という考えである。露骨に嫌な顔もする。最悪な店員だね、ワタシ。
 ただそんな中、たまーに、スマイルを時価で提供してやるときもある。それが冒頭センテンスなのだ。安い安いアナクロ玩具を、それでも親から買ってもらって嬉しそうな顔をして、むぎゅと掴みぱなしの洟垂れ小僧なんかを見ていると思わずこちとらまでニンマリして「坊主よかったね」なんて言ってしまう。チープさに甘んじることなく夢を与え続けるプライド高き駄玩具と、小僧とのバッテリー勝利である。この40過ぎの堅物店員をほころばせたのだ。

 さて前置きが長引いてしったが、「そんな自分」つまりガキに対して思わずニンマリしてしまう自分を平面美術上にドラッグさせたらどないなるやろう?というのが今回<絵本>の制作原点なのだ。・・なので内容も、描く姿勢もガキどもに媚びてはいない。無愛想なオッサンによる<駄絵本>なのだ。
 ・・主人公の小学6年生・女子が、どうでもよいことばかりに悩んで、ついでに学校をサボタージュする過程、という内容である。よゐこは読んではいけません。悪さを教える絵本です。
 テキストも含めて全て自主制作の私家的なものですが、勿論、完成のアカツキには何らかの形で発表いたします。

 さてさて最後になりましたが、この度私とチーコは無事、新居に引越完了いたしました。今回一部の方々には大変お世話になり、又、ご心配もおかけいたしました。文末になりましたが、この場を借りて、熱く感謝・御礼申し上げます!・・築ンン10年の2DKながらも、とてもとても素敵な住まいと環境です。飲み助カップルには近所に「安うてエエ店」が多いのが悩みの種ではありますが(笑)。ままっ、そのあたりのことはまた、ご報告差し上げましょう(ひとまず今回は写真のみアップw!)。 もちろん、チーコのフラワーアートと共に、私の新たな作品・作風も生まれることでしょう!ご期待あれ。
 (了)

   


☆『あなたがくれた3月』

第11回じゅうじゅん展


 ・・なんて今年の3月は長かったのだろう。
 初旬、愛しのチーコと共に洋画家、田中芳照さんの絵がある日本橋三越と、餓えたる肝臓を満たすべく?夜の高円寺を目指して東京へゆく。
 しかし思えばこれが麗らかなニホンの首都の「最後の姿」だったのか。
 帰洛直後には大震災。

 中旬、チーコのおじいさまが亡くなられた。前からご容態は悪かったのだが、最期の最後まで生きる事への意志を貫かれた、大往生だったようだ。残念ながら私は一度もお会いしたことがないままだったのだが、今後もチーコの口から語られるおじいちゃんの数多の思い出話を通じて、私はつきあわせていただくのだと思う。死を境にして、のこされた者とは新たな関係がはじまる。

 下旬、マツオ珍しく、働く。新生活シーズンでごった返すパート先のホームセンター売場。買い占め客も便乗してたのか、今季はハンパなかった。あれやこれやと張り切るお父さんお母さんの後ろで疲れている息子・娘の姿は毎年変わらないのだが。
 そして今年は一日だけ、チーコの勤める花屋さんを手伝わせていただく。単なる足手まといでなかったか、自責の念だけが今も残る。けれど生花店という職業が世間での印象(「お花屋さん!まあカワイイ」的な)とは違い、いかに大変でシビアであるかを学習するに至る。店舗が曾祖父ゆかりの基督教会に近かったせいか「タクヤもっと修行せんかい!」と天からメッセあるいはイノキ的ビンタされてる気もした。そう世の中まだまだ知らないことは多い。人生は短すぎる。ダーッ。

 ・・噫、エイプリルフールにウソをつく暇もなく、そうして早や四月。  冒頭文、東京での写真がとても昔のことのように映る。
 さてと明日は久々に木屋町に出るぞ。
 脱ぐぞ踊るぞ。
 自粛など、せんわい。  

 (了)

   


☆『終了』

第11回じゅうじゅん展

(・・あるいは『今年の漢字』)

 2010年も早や暮れ。12月某日。
 今年は、ココ毎年秋の恒例行事だった『じゅうじゅん展』(グループ展)が14年目にして終了し、ついで2年間続いた『パチンコ幻想劇場』の雑誌連載も最終回を迎えるにいたった。前者に関しては、渋田先生、芳照さん、思久理さんはじめ、みなさまお疲れさまでした。後者へは白夜書房の酒井さん、そして毎回めくるめく幻想的本文を担当された吉田栄華さん、ありがとうございました。良い仕事でした。

 こうして「サヨナラ」が続くと、宿酔いでもないのにフトため息なんぞをついてしまう。ワタシにとって今年の漢字一文字は『終』あるいは『了』なのか。

 突然であるが、こんなワタシにも恋人ができた。
 木屋町のバーで出会った。
 と言うてもハンフリー=ボガートのようなワンシーンは想像していただきたくない。
 360度違うから。
 どこぞの名門一家の歌舞伎役者じゃないが、その出会いの瞬間をほとんど憶えていないのだ。どうやらワタシも、酔っぱらって絡んでいたらしい。そのオンナに。しかしそれが始まりだった。夜の街、深酒の挙げ句で、前者・EBZOは六本木で暴行沙汰、後者の松タクは京の都で恋愛沙汰。お酒は楽しく適量を。

 あれから半年以上立つが、ワタシは今その彼女と狭い部屋で同棲している。
 相手の職業はお花屋さん、いわゆる「花売り娘」というやつである。おかげで世間でいう見た目以上にその職業が実に厳しいものであること、そして彼女、チーちゃんと呼ばれる、はそのナリワイを生かした造形芸術にも卓越あるいは潜在的可能性があること(冒頭の『じゅうじゅん展』にも今年出品)、あとは唄がウマいのと、やはり酒飲みなこと、15歳も年下などなどを識ることになる。
 自意識の海底にいたワタシは彼女を通じてふたたび大空を仰ぐことになる。
 このチーちゃんに関してはまたいずれ機会あらば、お話しよう。

   こうしてこの出来事だけ見れば、ワタシの今年の一文字は『愛』あるいは『性』(さが、とも言う)なのかい?

 しかし改めて全てを振り返ったとき、矢張り、師匠のあの言葉を思い浮かべるのだ。そう・・。

 「何かを捨てれば、何かが拾える」

 今年もあと少し、みなさまどうか良い越年を! 

 (寿)

   


☆『パート兼イラストレーター』


 4月初旬某日

・・雨の、しかも寒い火曜日。こんな休日は大嫌いだ。一体何せえい言うねん。二日酔いで寝てろてか!

 ばかやろ。
 しかし、寝てるわけにもいかない。確定申告に行かねば。
 書類を用意して近所の税務署へ。一昔前とは違い、キレイなお姉さんが(厳密には妹なんだろうが)サポートしてくれて、こりゃええのう、いひひ、アタマもややこしい計算勘定もいらなんだ。ついでに還付金がン千円戻ってくるのだ。木屋町のガソリン代の補填にもなるし、めでたしめでたし。ちなみに税務上の私の職業は「パート兼イラストレーター」。誰も嫁には来んねこんな肩書き。げぼぼぼ。

 その後しばし京都駅で暇をつぶして、久しぶりに映画館へ。
 九条にある「みなみ会館」。
 いつぞやたまたまフライヤーを発見していた作品『母なる証明』を観に。

 なんだかんだいつしか、韓国映画を結構観ている。
 『シュリ』を観たのはもう10年前か。早い。

 その後、劇場・ビデオ(DVD)混ぜて、印象に残っているのは『カル』『8月のクリスマス』『オールドボーイ』『大統領の理髪師』『酔画仙』そして今回の映画と同じ監督作品『殺人の追憶』。

 不思議といえば不思議なのだが、各作品共通するのは、どれもこれも面白い。ハズレがない。そして大概、劇中音楽もいい。上記何本かのサントラを持って愛聴している。
 その中でもポン・ジュノ監督の『殺人の追憶』は衝撃を受けた。
 1980年代後期の韓国で実際に起きた未解決殺人事件をモチーフにした、いわゆる「刑事モノ」なのだが、とにかくテンション高いのなんのって!!
・・未解決事件イコール犯人(ホシ)は捕まらないわけだから、普通は欲求不満溜まりまくるストーリーになる所が全くもってその懸念は不要。むしろ、スカッと来る。・・そやなあ、黒澤明の『天国と地獄』を一度お餅にして捏ねて固め直してコンクリートの壁に思いきしブチつけた感じ。もちろん壁には穴が開いとるわな・・。

 そんな衝撃から5年、ポン監督の新作が『母なる証明』なのでありまっスムニダ。これも殺人事件がモチーフであるものの、今回はフィクションの事件であり、時代もリアルタイム。・・ある女子高生殺しで捕まった知的障害の青年を、無実と信じて何としてでも真犯人を暴き出そうとするその母親の姿。というのが一言で言うたところのストーリー。

 私はてっきりこっきり、母なる愛情に満ちた温かいヒューマンドラマと思いきや、・・・・・だまされた!!裏切られた!!チキショ〜最高だぜベイビー!!オレはこんな映画を待っていた!!!!

 もう大好き。

 ちなみに、これは初めてのことだったのだが、作品オープニングで私はいきなり泣いた。映画や演劇鑑賞での落涙は以前も、物語途中やクライマックスでは幾度かあるのだが、いきなりオープニング。しかもその時点では別にこの作品に興味はあれども格別な期待はしていなかったのに。けど泣けた。そう、この映画は冒頭とラストが最高にいいのです。もちろん中身があってのね。

 もう少し映画館でやってそうだけど、DVDがじき出るでしょう。

 それではみなさん、さいならさいなら。さいなら。

 http://www.hahanaru.jp/ (作品公式サイト)

 (了)

   


☆『ひとり芝居』

第11回じゅうじゅん展 第11回じゅうじゅん展 第11回じゅうじゅん展














 (早くも12月某日)

 久しぶりの更新であります。
 どうもmixiの一発更新に慣れてしまうと、このタグ打ちが億劫になってしまうんだよねい・・。すんません。今後はメインであるこのサイトもがんばりますんで。

 さて、そんな訳でいつしか本年も師走。
そんな今年は少し「異例」の年でありました。

 ここ毎年、私の表現作業は「鉛筆画」1本だったのですが、今年は久方振りに、一人芝居なるものをさせていただきました。
 当サイトの<プロフィール> をご参照していただくとわかるのですが、私は大学時代には小劇団演劇をしておりました。と、えらそに言っても、今思えば学生劇団に毛が生えたようなものでしたが・・。その後、就職・退社・鉛筆画、と歩み早や15年。
 その15年ぶりにカラダを動かす機会を得たのであります。

 場所は三条河原町にある『気分は極楽』というバー。
 バー、といっても面白いのは、夕方から深夜・明方までの時間帯ではなく、お昼2時か3時くらいから「日没後」までが営業時間という「白日バー」なのであります。

 オーナーは前回の日記などでも登場する『季節居酒屋・極楽とんぼ』の主人である、みあちゃんと女将のとしこサン。ママはアーティストの浦地思久理さん。
 何せ左様なママなので、このお店はそんな浦地姉さんが給仕のかたわら、絵を製作したり、同業者の相談に乗ってくれたりする<アトリエ・バー>でもあるのです。

 そんな三人に甘え、支えられつつ、5月の稽古開始から、10月初旬の本番まで、何とか完走することができました。平日のしかも台風上陸の大雨の中、お客さんにも多数来ていただきました。感謝です。

 さてさて、今回はその際、とし子さんに撮影していただいた動画像をご案内いたします。
 下記のアドレスをクリックいたしますと、動画サイト<You Tube>につながります。 あとはそのまま『松尾ひとり芝居「カタカス」』を選択してください(注)。45分に渡る芝居を6話に分割して見やすくなっております。もちろん無料配信ですので、どうぞ、ごゆっくりご覧くださいませ!

 (注・<You Tube>内「pyupyuみあのチャンネル」の中にはその他動画もあります)
 (注2・お持ちのマシンによってはご覧になれない場合もあります。ご了承ください)

『松尾琢也ひとり芝居〜カタカス』

@白日BAR「気分は極楽」2009・10
・・ギター演奏/pyupyuみあ
・・音響操作&劇中「郵便配達の男」/魔法使い
・・協力感謝!!
  平田淑子
浦地思久理

(敬称略)

こちらをクリック!!http://www.youtube.com/user/pyupyumia#p/a/u/1/yk8Y29iAdV0


 (了)   


☆『路上』

第11回じゅうじゅん展 第11回じゅうじゅん展
 6月初旬某日

 今日は「必勝ガイド」締め切りのため、狭いアパートに引きこもり、挿絵を描いて日陰の身になっていました。
 夕方からは木屋町の『気分は極楽』へ。
 この日はみあちゃんが、お初の路上ライブをするとのことで、興味深々やってきた。週末の売り場パートにこの2日の引きこもりで、体調と健全な精神を狂わせてしまい、せっかくお店に来てもしばし、どよ〜〜〜んとしていたのだが、店内でのDVD上映『メリーポピンズ』とビールで、ようやく健康(?)を取り戻して来た。

 そして8時、ひとり、ギター片手に路上ライブに繰り出していった、みあちゃんを追いかけるように、ワタシと、魔法使いサン(ニックネーム・上記の映画とは無関係??)は四条阪急駅前へと向かう。
 
 やってるやってる。
 エレキとアンプで、手探りをするように、みあちゃんはギターを弾いている。二人は野次馬兼、サクラとなってしばし見入る。
 さすが、ギャラリーは・・皆無(笑)。
 1時間ほどして、一旦終了。
 近隣の『バー変質者』でアルコールによるチャージ。
 しばしの休憩と酒による栄養摂取のち、ふたたび路上へ。
 阪急駅前のこの場所は、みあちゃんによると、音の響きがいいらしい。 たしかに、高瀬川を背景に、不二家パーラーや居酒屋、風俗に囲まれるこの場所では、少なくともここ10年、路上ミュージシャンや大道芸人が絶えてない気がする。
 
 ・・やがてアンプの調子が悪くなる。が、誰かが抱えて、コードを常に持ってやるとそんなことはないことが判った。
 というわけで、ワタシが横で小型アンプを白木の遺骨のように抱えながら、セカンドステージ続行。酔いも回ってきているので、先程よりはノリがいい。私も合間合間に、どうでもいいような台詞を吐いてみる。
 「みなさん、働くのをやめましょう」
 若き唐十郎の路上戯曲にあった台詞だったか。
 
 そして、こんどは魔法使いサンもギターを弾く。
 ついでに全く弾けない私も少しばかり弾かして(音出してるだけ)もらった。もうノイズ・ショーですね。

 用意された小屋(ライブハウス)とは違って、余程のことでないと、お客はいない。つまりここはアウェイ中のアウェイだ。否ヤジされるならまだいいか。この夜引っかかってくれたお客さんは、ホームレス風の酔っぱらいに子供、あとは奇特にも私の台詞に反応してくれた、金髪にタトゥの似合う、色っぽい大きなお姉さん。
 路上ライブは人間観察にいいかもしれない。・・見られているようで、実は、我々が、「街」という俗悪なショーへのガラの悪い観客なのかもしれない。ならば、今夜の私らのノイズは野次・罵声みたいなものかしら。

 ま、とにかくおもろかった。壮快な気分で再び『変質者』へ。
 ビールがうまい。

 セカンドステージでギャラリーとして呼んでいた、夜の盟友イシハラ君から「キミら最悪やったよ」と罵られながらも、まあまあ、そんな硬いこと言わんと、みんなスカッとさわやか壮快爽快なんだから、よろしおすやないの。これからこれから。

 さてさて、ハナシは変わるが、今ボクはこの『バー変質者』の新メニュー「おつまみセット」にハマっている。スライスハムにチーズに、オリーブ、ドライトマト、そしてジャーマンブレッドの盛り合わせなのだが、ウマい、イケる!こいつとハートランドのビールもしくはティオペペがあれば・・。

 ボクはもう何も、いらない。
 (了)

   


☆『ズボン』

第11回じゅうじゅん展 第11回じゅうじゅん展
 5月初旬某日。

 そろそろ「少女や謎めいた女性」を描くのも飽きて来た。
 何となくだが、「男」をできれば群像で描きたいなんて思い始めた今日この頃。 
 なんでやろ?

 ハナシはさておき、5月、それはワタシの誕生月であり、同時に「可哀想な私の亡き母」(G.グラス『ブリキの太鼓』風(笑))の誕生月でもある。
 普通は死んだ人間なんぞは命日を祝う、もとい、祈るものだが、この「可哀想な母」の場合は、晴れやかな五月の「元」誕生日が似合うのだ。

 映画評論家の故・淀川長治だったか、「自分の誕生日とは、自身をではなく、生んでくれた母こそに感謝する日なのですね、サイナラサイナラ・・・」と言っていたが、その通りだと思う。つまり5月とは私にとって「母を憶う月」でもある。

 ・・もう今から30年ぐらい前、私がまだ幼稚園だったころ、狭い狭い団地の一室で、昼下がり、彼女のモデルとなった。
 OL時代は勤め先で社内美術部をつくって主宰したり、どこぞの画家さんに通ったりして趣味とはいえ、下手乍らもけっこう真剣に油彩に取り組んでいた母だったが、結婚して私が生まれてのちも、細々と稚拙な絵に取り組んではいた(画像はその遺品と作品。今も私の部屋にある)。

   「タクヤそこに立ってなさい」
 幼稚園から帰り、息子にオヤツも出さずに、私は窓際に立たされた。
 「じっとしてるのよ」

 どうやら、このカワイイ我が子を作品にしたいらしい。逆らうのもめんどくさいので、私はしばし固定ポーズ(といっても正面向いて立ってるだけ、もうちょいコンポジション考えなよ・・)を取る。
 しかし今思えばのどかな光景だった。
 コンクリートの団地での幼児期なんて、年寄り方々からすれば「かわいそうにねえ・・」なんて思うかもしれないが、私には木造の下町よりも、ビー玉ベーゴマ紙芝居なんかよりも、鉄筋の団地群やスーパーマーケットやテレビアニメ、ピンクレディやYMOにこそノスタルジーを感じる。ついでに言うなら、この母は台所でタマネギ切り刻み乍らサザンの『勝手にシンドバット』を歌っていた。
 だから、1978年のここは今でも思い出の部屋。
 光につつまれた、母と私だけの部屋だった。

 ・・さて、そうしているうち、ボクはウンコしたくなってなってきた。
 便意は急速に上昇し、もうそこに立ってはいられない。

 「おかあさんウンコ」
 休憩許可を貰い、しばし脱糞!
 ふたたび任務に就くため、「アトリエ」に戻ると、そこでは団地妻画家が奇声を上げてゲラゲラ笑っているではないか。
 
 何があったのか?
   
 母、「そこに・・誰かいる、・・みたい!!」
 気が触れたか。
 そういえば、先日なんぞは近所の映画館に無理矢理連れ込まれた。
 自分が『犬神家の一族』を観る為に。無垢な幼児は『ヤッターマン』を観たがっていたというのに!!
 私はこんな人から生まれたことを後悔する。まだ5歳だ、今からやり直してどこぞ別の誰かの子宮に潜り込むことは可能である。幼い私は子宮さがしの旅に出よう。さようなら。ん?

 母の指差す先には、今脱ぎ捨てたばかりのズボン。
 つまり、こみ上げる便意であわてて脱いだそのズボンは、その持ち主の直前までのポーズのまま固定されていたのだ。
 あたかも時間が止まったかのように。
 まるでそこに、透明人間でも立っているかのように・・・。
 どうもこの母はそれが可笑しかった、らしい。

 ・・今でも、天気のよい昼下がりに絵を描いていると、たまにこのことを思い出す。
 けれどもう、この母のモデルになることもないし、この時の絵も今では存在しない。
 すべてはあの部屋に置き去りにしたままである。

 それでいいのだ。
 でなければ、今現在、私は何も描いていないだろうから。

 「何かを捨てれば、何かが拾える」
 先の日記に登場した、和田師匠の言葉だ。

 (了)   


☆『酔わせ上手』

第11回じゅうじゅん展
4月初旬某日

 ・・春、といえばお酒の季節ですね(アンタはオールシーズンやろ、なんて言わないで!)。花見に歓送迎会、新しい友人や恋人とのひととき、よい気候も手伝って、この時期のお酒はほんまに美味しゅうございます(だからアンタはオールシーズンやろ、なんて言わないで!)。

 そしてお酒は、一人酒より誰かとパ〜っとが、よござんす。
 呑む、のは杯中の液体だけではありません、相手さまをも「いただく」のです。
 というわけで、今回は私が出会ったある「酔わせ上手」について。
 ・・それは、ワタシのお芝居時代の師匠であり、現在も生き方の師匠である、 和田茂樹(わだ しげき)氏。長らく『銀色昆蟲館(ぎんいろこんちゅうかん)』という往年京都のアングラ劇団で役者はもちろん、制作方もやっていた人物。劇団解散後は個人でプロダクションに所属し、NHK「朝の連ドラ」に出演したり、映画に出たり、警察署の防犯推進ビデオにヤクザ役で出られたりと活躍した方・・。

 だんじり祭りを、こよなく愛する岸和田男児の大男は、もちろん、その呑みっぷりは豪快、酔いも豪快。憂・華・歌・幻・そして破壊。「和田茂樹」という固有名詞を失った、それらのあらゆる原石が本人の肉体を通じて跋扈する、そんな呑み方。

 立て続けにきゅうううっと焼酎をあおる。
 「大将もう一杯、ロックで大盛り、こいつにもや・・」

 対称的にヘタレの私は横で、じつにチビチビとやっていると、
 「マツオ、何ちんたら呑んどんねん酒が泣くど遠慮すな、ちゅうううっといこか、ちゅうううううっと!」

 ・・こんなこと書くと、常識ある方は眉間にシワもんだろう。
 言っておくが、私は大の一気呑み嫌いなのだが、この人に煽られるのは別。
 否、この和田氏の呑み(呑ませ)方と世間のアホとは本質的に違う、と言わねばならない。これは魔術なのだ「ちゅうううっといこか、ちゅうううううっと!」

 ・・この時だけはこの「ちゅうううううっと」呑むのんが、ほんまにウマい。
 ・・そして二人(あるいは座一同)でベロベロになる。
 やがて歌う。吠える。暴れる。夜の街で、片目のオオカミになる。

 祭や芝居をつくるのがウマい人間が、酔わせる場を幻出させるなんぞは、朝飯ならぬ「とりあえずのビール」前だ。ただし凡人はマネするべからず。

 ・・そんな和田氏も、今はカラダを壊してしまった。おかげで、役者業も「引退」。本人の名誉のために言っておくが、決して酒の無茶だけが原因ではない。もともとの持病からだった。
 
 毎年春になると、東京からどっさりと段ボールで、「紅テント」のチラシとポスターが送られてきた。和田氏のもう一つの屋号である制作請負『泥亀屋』は、毎年春の、『劇団唐組』における全国旅公演の京都制作を仕切っていた(注・もともと「状況劇場・時代」から含めると、京都では数者が代々引き受けていたのだが、1990年代は主に『銀色・・』と『泥亀屋』が担当)。
 
 納品先である、当時のワタシのボロアパートは段ボールで埋まる。
 それらの箱を開いてゆくと、ぷん、と印刷されたばかりの、ザラ紙に単色で刷られた新聞形式のチラシが、独特の匂いを放つ。
 今でもこの時期になると、必ず思い出す。
 その匂いを。

(写真と本文とはあまり関係ありません)


☆『ふたつの川(2)』

・・2月初旬某日。
 この2月は、ふたつの印刷物にて私の鉛筆画が登場します。
 ひとつはトップでもご案内しました『パチンコ必勝ガイド(白夜書房・刊)』の2/19発売号より開始される<<パチンコ幻想劇場>>という、パチプロライター・栄華さんによる、連載短編小説の挿絵をさせていただくこととなりました。短期企画ではありますが(7月までの予定)、みなさま、応援の程よろしくおねがいいたします!!(なお上記雑誌は月2回、第1・第3木曜日発売でして、当方どもの連載はうち第3木曜発売分の「月イチ」企画となります)。

 そしてもうひとつは、日本キリスト教団・大津教会における月報紙『プニューマ』の2月号(/15発行)です。この号の表紙絵として『南海鉄道の夜』が掲載されます。こちらの方は前回の日記でも記しております曾祖父・亀山昇の特集記事がメインです(この教会のルーツである明治期の「大津組合教会」の初代牧師だったのが曾祖父)。教会を中心に配布されるので、前者のように一般では読めませんが、ご希望の方がおありでしたらメールにてご一報ください。

 ・・以上ふたつです。
 ・・パチンコ雑誌と、教会の月報。一見関係ないふたつの世界を、私の拙画が結びつけました(笑)。
 前回日記の続きとして、読んでいただきたいのですが、どちらも「私の絵をよろこんで下さる」ということから、私には感謝すべき同じ世界であります。

 文末になってしまいましたが、白夜書房御内・酒井さま、栄華さま。そして大津教会御内・高田先生。この度はまことにありがとうございました。これからもよろしくお願い申し上げます。

 (文中一部敬称略しています)


☆『ふたつの川』

 ・・1月下旬某日。
 下記前回の日記でも申し上げたのだが、昨年は亡き母が病に倒れた時の年齢と、自分が同じ歳になってしまった不安と「祈念」から、自分のルーツ探りというものをしてみた。
 といってもよくある「ウチの先祖は源氏方(あるいは平家でもOK)やでえっ!!」という大層なものではなく、軽く明治以降がエリアである。
 
 ・・私の母方の家は、けっこう歴史的な牧師さんだった。
 まだ明治の初期、この人(私からすれば曾祖父)が青年時代にかかわった、あるキリスト教関連の事件は一般の歴史書や百科事典、あるいは一部文学作品にも登場する。
 曾祖父個人に関しても、探す努力さえすれば、図書館やインターネット、古書店などで発見することが出来、なんだか目眩に似た感覚をおぼえた(何せ母はそれらを語る前に死んでいるので、ほとんど知らずに私はこの歳になった)。
 
 ・・一方、父方の祖母にあたる人物は名も無い「底辺」労働者だった(10/某日日記『堅粕という街』ご参照)。
 さまざまな事情から、たった20年前の死だというのに、私はその顔を知らないし、名前を知ったのもつい最近だ。
 
 ・・私にとってこの二人、牧師の曾祖父と清掃作業員として不慮の死をとげた祖母は、同じ存在だ。
 互いに違う職業・生活・人生の中にあって(ついでに述べると祖母は浄土真宗の寺に眠る)、その修身・修養においては同一であっただろう。
 曾祖父は聖書を通じて天からの声を、祖母はデッキブラシやホーキを通じて地の声を聞いたに違いない。
 
 私は、無いアタマで空想してみる。
 そんな二人の対話を。昼下がり、静かなしずかな中庭での、ダイアローグを。
 
 しかし、そんなこと現実には、永遠の無理である。
 なので今後、私は自分に流れる血の声に訊き乍ら、それを絵にするしかないだろう。


☆『a happy new year !!』

第11回じゅうじゅん展
 ・・09年1月元旦。
 
・・みなさま、あけましておめでとうございます。
 こうして本年も無事、お正月を迎えることができました。
 私ごとで恐縮ですが、昨08年は私の年齢と、亡き母が死に至る病に陥った齢と同じになりまして、何だか不安な年でもありましたが、なんとか女装して乗り切りました(画像参照・女装健康法『赤毛のアン、としてのわたし』・・※注)。
 
 さて、この2009年、世界もあちきも、相変わらず、どないなんのかわからん年ではありますが、まずはめでたく「鉛筆画10周年」を迎えます。思えば1998年の第1作のち本格始動した『肌色のカーディガン』が99年2月。ノストラダムスの予言にビクつきながら行なった初めての個展もこの年7月でした。
 もちろん、美術の世界においては、いや私の身近を見ても、10年なんてまだまだ屁みたいなもの。はしゃぐほどのモノでもないが、ま、とりあえず「自分にゴクローサン」。それまではコロコロと画材やスタイルを変えていた頃(妄想の少女というテーマはもう前からだが)を考えれば、オトナあるいはオッサンになったもんだ。
 
 ・・しかし。そう。・・もうそろそろ飽きてきた(笑)。
 
 ・・端的に「宣言」すれば昨年の『南海鉄道の夜(赤い靴Ver)』が最後の「うしろ姿の女の子」になるでしょう。少なくとも99年以来のこの「シリーズ」は終わりです。
 かといって無理からに封印するのも地に脚つかずコケる可能性大なので(笑)、つまり、ぼちぼちと、変わってゆくでしょう。画材は今後も鉛筆メインですけど(余談だが、昨年「貝原浩」の没後鉛筆画展を寺町で観たとき、まだまだこの画材を追求したく思った・・)。

 さてさて、そんなこんなの中での次回作も、決まりました。
 タイトルは『駅の裏』。
 ・・やっと決まった次回作。正直、前作『花泥棒』からあれこれ考えつつも、なかなか決まらなかった。七転八倒w。ボツのラフだけでここ2ヶ月はあったようなものです(笑w)。

 では今年もよろしゅう!!

 (※注(女装健康法)・・そんなもんありませんからね。)


☆『ごめん』

第11回じゅうじゅん展
 12月初旬某日(その2)
 ・・ごめんよ。またまたメアドが不通どした!・・・。
 簡単に言うと、すべてのページから通じるはずのメールアドレスが昨年のミス発覚以降も一部まだ修正されてなくて、コーナーによっては「お問い合わせ」から繋がらなかったのでありんす。ま、気が付いてよかった。何とか自力で直したので、お許しください。
 さてさて、猿が道具を使い始めてはしゃぐように、私も次第に「タグ打ち更新」に慣れてきまして、この年末年始を中心にマメに改良しようと思っております。ちっとも依頼がなかった(笑)、2コーナーのうち、「原画の出前」は中止(廃止の方向へ)。同じく「製作依頼募集」は開き直って、もっと自分が楽しめるようにしました(・・こちら)。
・・ではでは、オープン時のモードから、ぼちぼちとマツオ色に染めていきますよん。(さて、画像はいったい誰でせう?w)


☆『マッチ売りの少女』

第11回じゅうじゅん展
 12月初旬某日(その1)
 ・・一年とはあっという間でございます。現在新作の製作は行なっていませんが、補強修正として往年の拙作『マッチ売りの少女』をいじくりました。この絵は2003年の製作ですが、最近の私の絵に較べるとまだまだ陰影やコントラストの乏しさを感じておりましたので、この期に少し手を加えました。はたしてお判りになるかどうか不安ですが、ライブラリの「2001年後期〜2005年前期」の画像と較べてみてください・・・。


☆『12thじゅうじゅん展』

第11回じゅうじゅん展
 10/末日・・今年も酒池肉林のうちに、じゅうじゅん展が終わりました。ご来場いただいた方、ありがとうございます。ご来場いただけなかった方、・・残念だったネ(笑)。今年はおもしろかったです!・・しかし来年はさらにグレードアップして吉象堂さんに帰ってくるので、その時はぜひぜひお越しくださいませ!(画像は初日のスペシャルライブ)

 さて、今後の私の作画予定ですが、・・・実はまだ決まってません(笑)。  スタイルとしては今回の新作である『花泥棒』のような、肉薄人物画を予定、というか決定はしているのですが、こまかなテーマやコンポジションは決まっていません。
 何となく決めてはいるタイトルは『客死』『駅の裏』『青い夜』『ありがとう岡田がんばれ真弓』などさまざま(さてこのうち空気読んでないタイトルはどれでしょう)。
 ・・昔、20年ぐらい前、関東で、あるバンドマンが「悪魔払い」と称してその妻や友人に殺され解体される、という猟奇事件がありました。そのあたりの背景が、なんとなくあったりもするのですが。・・といっても露骨な描写ではなく、それを匂わす、という表現方法ですけどね(私の鉛筆はあくまで”抽象画”ですから)。

 世間じゃ、すでに師走モード。そんな急がんでも、と思うのだが。ま、私の場合はぼちぼちと行きましょう・・・。



☆『堅粕(かたかす)という街』

第11回じゅうじゅん展 第11回じゅうじゅん展
 ・・10/某日。さて、じゅうじゅん展を前にいよいよ展示作品の調整をしています。今回予定の『南海鉄道の夜』『花泥棒』を、前回の日記でご紹介さしあげてからのち、大幅に修正・補強いたしました。
 今回はそのうちの『南海・・』(画像・右)についてです。

 この絵にはそもそも「背景」というのが不在でした。まあ大抵私の絵はそうなのですが(緻密な割にええかげん)、今回に限り、「具体的な作品背景(物語の状況)」を附随しました。
 ・・といっても、結局ご解釈は観者さん次第、ここではあくまでマツオ個人の客体的解釈、といったほうがいいかしら。

 この絵の背景の街は「福岡市の御笠川河口」です。市内博多駅から北東部に位置します。この地域はかつて、戦後から60年代にかけていわゆる「朝鮮人部落」が存在したそうです。この御笠川(石堂川とも名称)の岸辺や水上には、数多のバラックが、・・1945年、日本の敗戦における”光復”後の韓国・朝鮮人が帰国を待ちつつ、この玄界灘に面する河口に集まっていたといいます。

 水上の街、そこにある、(架空の)水上に浮かぶ駅。そこを走る鉄道は畢竟、海へと向かう。
 これが、背景です。
 ついでに申すなら、今回部分着色により強調した「少女の赤い靴」は、”誰かが”製造したものかもしれません。

 アートに名を借りて、そんなことを面白半分に扱うな、と怒られそうですね(笑)。
 ・・申し訳ない、そう、面白半分です。

 私ごとで恐縮ですが、この近辺にある街、堅粕(かたかす)という場所には、私の祖母が眠っています。あ、いや永眠ですね、昼寝ではなく。
 この近辺で、祖母は掃除婦をしながら、仕事中に交通事故で死んじゃったそうです。1990年のことです。街はもはや強制的様変わりをしていたとは思いますが。

 そんな事実をここ数年で知った私は、面白半分に、上記のようなことを妄想したわけです。婆サマは仕事中に死んだのではなく、海に向かう途中に、死んじゃったのです。と。
 ちなみに婆サマの名字は川原(かわはら)といいます。英語に訳せばリバーサイド(?かなw)。それも妄想に拍車をかけています(w笑)。



☆『2008年10月某日』
 ・・・ごめん。待った?・・更新してなくて、ごめん。

 ・・この度やあああっと自力更新をぼちぼちできるようになったので、もうこれからは、・・がんばるよ。
 その間、私は別に惚けた生活をしていた訳ではけしてなく(笑)、新作画の製作に、励んでいたのであります。

 ・・んで、その証拠の画像でやんす。右の1点はこの春に完成した絵。『南海鉄道の夜(2008版)』(部分)でございます。もう10年前の初期段階から製作したテーマの、第4回目のヴァージョンです。トップページでもご案内差し上げている『第12回じゅうじゅん展』にて出品しますので、じっくりご覧くださいませ。
 ・・さて、もう1点の「さぼってないぞ証拠写真」は、この夏8月に完成。『花泥棒』(画像は部分)と題します。こちらも上記展覧会に出しますので、ご都合よろしき方はご覧ください。
 ・・今後製作予定の作品は、粗方、後者(花泥棒)のスタイルになってくるかと思います。「二人芝居」のような世界が表現できたら、なんぞと思っている今日このごろです。

 ・・あと、最後になりましたが、mixiご利用の方は一度『持病は二日酔い』で探してみてください。自らによる日記がありますから。・・実は私これにハマってまして、・・本ウェブの更新怠けてたのでありんす・・・・(はははは)。

(注!!・・・本作の修正にともない、画像は消去してます。上記最新日記をどうぞ)


☆『第11回じゅうじゅん展・・終わる』
第11回じゅうじゅん展
第11回じゅうじゅん展
 ・・いつしかもう、晩秋・・やがて冬のおとずれ・・。 なんて言ってる間に師走、あれよあれよとクリ正(クリスマスと正月・・・もー今の世なんでも略しますよー)・・。

 ・・さてと、先月終了いたしました「じゅうじゅん展」についてです。 まずは改めまして、ご来場いただいた方、まことにありがとうございました。 さまざまなご事情でお越しいただけなかった方も、どうかまた来年開催しますので、ぜひ来てやってくださいね!! (今回出品の新作をライブラリにてUPしております、おたのしみ下さい)

 ・・今回のとても楽しい話題は、新規出品のPyuPyuみあちゃん&奥さんのとしこサンでした。 普段はこのおふたり、京都三条で「季節居酒屋〜極楽とんぼ」(当サイトリンク集をどうぞ)を 営んでおられてまして、真剣なまなざしで包丁を握るマスターとそれを笑顔絶やさず支える女将さん・・なのです。
 出品ジャンルは「写真」。・・・といっても普通ではおさまらない、アバンギャルドな演出(お皿)にアングラ、 あるいは神秘とエロティシズムに満ちた内容の作品写真(料理)を盛りつけた、という感じでしょうか。 ご本人製作のオリジナルCDをバックに流し、それはひとつの小劇場空間の幻出でありました。
 ・・びっくりさせられたのは作品だけではありません。 みあちゃん&としこさん、会期中は水・木とお店の休業日にあわせて画廊番もしてもろたのですが、 そのときはお店の常連さんやおふたりのお友達が次々にやってきては昼間から、 果ては閉展後も木屋町で夜中まで大盛り上がり、わたしは思わず心の中で「これや、これやー!」と拍手したものです。
 閉鎖的になり、単なる、画家さんや「美術にお詳しい方」さんたちの不毛なサロンになりつつある画廊で (それは勿論、画廊側ではなくヘッポコな主催者に責任があるのはいうまでもありません)、 壁に大穴あけて、街の空気がザザザザアーっと引き込まれた瞬間を見たのですから。 そして更に、その空気はふたたび、夜の木屋町へと昇華されていったのです。
 画廊を出た瞬間に粉々に散ってしまう作品なんて屍同様、街に出た瞬間から豹変していつまでも何処までも、 まつわりつくタチの悪い野良犬なんが、オモロい作品なんやー。
 自戒をこめて、考えてしまいました(まあ考えるより前に呑んでたんですけど)。
 ・・ちなみに、掲載写真中、夜中のカウンターですでにメートル上がってる、 私とチョンちゃんの写真はPyuPyuみあちゃん撮影です。もう3時ぐらい やったか・・・。

 そして最後になりましたが、そんな「粋なオトナ達の、年に一度の贅沢かつカラダ張った祭り (別名、京都美術界のだんじり祭り)」をもう11年、あたたかく、フトコロひろく、 見守って下さっている西村吉象堂さん、あらためて感謝申し上げます!!

 ・・さて、と。
 こうして今年のメーンイベントは終わりました。これより私はシーズンオフに入ります(プロ野球かい私は)。 このシーズンオフ、昨年はデッサンモデル初体験、その前の年は東京一人旅 (新宿のサウナに二日酔いで浸りながら自らの作品への思索・総括)、・・今年はどないしょう・・。

 あ、そうや、『南海鉄道の夜2008』描くんやった。もう人物撮りまでしてたのに、いかんがなー!!

 ・・というわけで予告!次回新作『南海鉄道の夜2008』・・もう4回目となる「南海鉄道」、 つかこうへいで言うなら「熱海殺人事件」の域か?・・来年2月ぐらい、アップの予定 (まーなにせ師走・正月はさみますんで、へい・・)。

☆8月某日『ルナティック』
・・・  こんにちは、初めまして、松尾琢也と申します。
   此ノ度、旧サイト「肌色カーディガン」から制作・管理者
   を一新し、再出発いたしました。”肌色”からご覧の方、
   お久し振りでございます。
   (とは言っても私の画業自体は中断していなかった事をお断りしておきつつ・・・)。

   旧サイトがWeb上での「個展・画集」だったのに対して、
   今回の新サイトは「対話」です。このサイトを通じて松尾作品
   や鉛筆画(たった1本の鉛筆から描く楽しみ)へ興味を
   持って頂けたら幸いです。

・・・  さて今回は、当サイトの総タイトル「I am lunatic
   (アイアム ルナティック・狂ひて候)について、です。
   「lunatic」という単語を素気なく訳せば「気違い」
   といった所ですが、その一部にlunaという単語(月の女神)を
   含むことから私は「月華狂気」とも解釈しています。
   狂気=最近では物騒な事件やキレる、なんてことを
   連想しがちですが、私にとって「lunatic」とは、
   洋画家、鴨居玲氏の同名タイトル(ここから勝手に盗み出し
   ました)の絵にあらわされるような、闇の中で自分を
   冷笑しつつも、自分であること自分の宿命・運命を楽しみ、
   ゆらりゆらりと踊る、月にあやつられたマリオネットだと
   思うております。

そしてもうひとつ、この言葉には思い出もあります。それはかつて

   10年以上前、悪友と共に立ち上げ、数年わずかでツブしてしまった
   小劇団、”ルナティックシアター”からも得ています(作家紹介-”経歴”ご参照
   今やなつかしくもなりつつある(ほんまはそうではないんやが)アングラ演劇
   にあこがれ、京都の闇に甘くかつ狂喜な物語を展開して”散開”
   した亡き劇団の転生でもあればとも思っているのです。

・・・  ってなことで皆さん よろしくお願いいたします m(_ _)m

・・・  狂い候え、踊り候え、人生は夢候よ。

※注、あまり気持ちのいい表現ではありませんが、対比しやすくする為、デフォルメとして使用しました。